瞬間移動とモンスターワイフ

僕はあるときから、瞬間移動ができるようになった。

なぜ僕なのか、いつできるようになったのかは、わからない。ある日気付いたときには、できるようになっていた。基本的には、ドラゴンボールで悟空が行う瞬間移動と同じだ。行きたい場所を頭でイメージし、おでこに指をあてて目を瞑る。すると次の瞬間には、もうその場所にいるという、正真正銘の瞬間移動だ。

瞬間移動を覚えたての当時、僕はまず手始めに、毎日満員電車で会社に行くのをやめ、瞬間移動で通勤することにした。瞬間移動ビギナーとしては、悪くない選択だろう。いくら瞬間移動できるからといって、いきなりアマゾンのジャングルに行くとか、月に行くとかはハードルが高すぎる。まずは自分の日常生活に、瞬間移動を取り入れてみることにした。

僕は毎朝、家で仕事に行く準備をし、妻に見送ってもらって家を出る。昔だったらそのまま駅まで歩き、満員電車に乗り、会社に向かった。しかし瞬間移動を習得後は、家を出ると真っ先にマンションの非常階段に向かい、周囲に誰もいないことを確認してから指をおでこに当て、行き先をイメージする。最初はどこを行き先にするか迷ったが、会社の最寄駅の公衆トイレの個室に行くことにした。このトイレは朝は割と空いていて、僕が突然姿を現しても人に見られる心配がない。僕は毎朝、瞬間移動でこのトイレの個室へと移動し、しれっと外に出て会社に向かうようになった。

瞬間移動を覚えたことによって、僕の通勤時間は限りなくゼロになり、満員電車のストレスもなくなった。それに伴い、仕事の生産性も驚くほど上がった。僕の仕事は外回りの営業だが、やがて取引先に行くのにも瞬間移動を使うようになった。僕は東京のオフィス街を、自由自在に移動した。移動時間の劇的短縮により、僕の営業成績は劇的アップを遂げた。周りの同僚や上司は誰もが、驚きを隠せない様子だった。当然だ、彼らは僕が瞬間移動できることを知らない。無論、僕の家族だって知らない。僕は人知れず瞬間移動を駆使し、社内のトップ営業マンとなった。

やがて僕は、毎日の通勤だけだけでなく、週末に瞬間移動でプチ旅行をするようになった。僕の瞬間移動は、たとえ行ったことがない場所でも、その場所の情景をある程度思い浮かべることができれば移動できるという優れものだった。僕はグーグルアースで世界を探索し、週末は世界中に日帰り旅行に行くのが日課になった。ニューヨークでミュージカル鑑賞、香港で食べ歩き、何でもやりたい放題だった。ルーブル美術館からウユニ塩湖まで、世界のありとあらゆるる観光地を制覇した。慣れてきた頃には思い立って、1日で世界一周したこともある。

こうしてトップ営業マン兼週末トラベラーとしての人生を謳歌するようになった僕だが、ひとつ問題があった。あまりに激変した僕を見て、妻が不審がるようになったのだ。僕は週末の旅行時、妻にはいつも「接待でゴルフに行く」と伝えていた。しかし僕は、人生でゴルフなどしたことがなかった。妻は僕を疑っていた。愛人がいるのでは、などと思われても仕方ないだろう。妻はある日、僕に切り出した。

「ねえ、あなた最近おかしいわよ。一体どうしたの?ゴルフなんて行ってないでしょう?本当は何してるの?」

僕は修羅場を迎えた。うしろめたい気持ちがなかったわけではない。瞬間移動できるのをいいことにひとり、妻を置いて世界中を旅行しているのだ。もちろん、できるのとなら妻も一緒に連れていってあげたい。しかし、いくら妻といえども「瞬間移動できるようになった」なんてとても言えない。まず信じてもらえないだろうし、頭がおかしくなったと思われるだろう。だが、これ以上隠したままでは、やがて夫婦生活は破綻する。今や瞬間移動は、僕の確固たるアイデンティティなのだ。僕は勇気を出して、妻に行った。

「実は……瞬間移動できるようになったんだ」

妻は一瞬、ポカンとした顔をしたが次の瞬間、怒り出した。

「何でもっと早く言ってくれないのよ!どうせゴルフに行くだなんて嘘付いて世界中ひとりで旅行してたんでしょう?ズルい!私も連れていきなさいよバカ!」

妻の最大の関心は、僕が瞬間移動できるというのが本当かどうかではなく、僕が妻を置いて勝手に旅行していることが気にくわないという事実にあった。僕はその後、週末の旅行には妻を連れていくようになった。

「今週末はローマに行きたい。来週はエジプト。それから再来週は……」

妻は6ヶ月先までの旅行スケジュールを、手帳に書き込んでいた。僕は軽く目眩を覚えた。何だ、何なんだ。この6ヶ月先の週末まで予定が決まっているという事実の圧迫感。しかもその予定に、俺の意思は一切ない。全ては妻の計画だ。俺はせっかく覚えた瞬間移動を、こんな自分の首を絞めるようなことに使っていいのか?嫌だ、そんなのは嫌だ。

僕はそんな思いを胸にしまい込み、毎週末、妻と旅行に出かけた。他人を連れて瞬間移動するときは、やはりドラゴンボールで悟空が行うのと同じように、連れて行く人の体に手を触れたまま、いつものように瞬間移動すればいい。家のリビングで僕は妻の肩に手を置き、脳内でヴェネチアのゴンドラをイメージした。次の瞬間、僕らはゴンドラに乗っていた。

「ああ、いつでも好きなところに行けるなんて幸せ」

妻は、瞬間移動がまるで自分の能力であるかのように言った。僕は一瞬絶望したが、とはいえ妻の幸せそうな顔を見るのは、悪いことではなかった。ああ、自分の特殊能力はこんな風に人を喜ばせることができるのか、そう思った。次第に僕は、やがてこの能力を自分や妻のためだけでなく、世のため人のために使いたい、と思うようになっていた。この能力で、社会にイノベーションを巻き起こしたい。世界の貧困や経済格差、人種差別や宗教紛争を解決したい。そう思うようになっていた。

僕はやはり身近なところから、瞬間移動を活用した社会貢献活動をはじめた。

まずは街に出て、移動に苦労してそうな人たちを探した。足の悪い高齢者、赤ちゃんを連れた母親、車椅子に乗った身体障害者、などなど。僕は彼らに、片っ端から声をかけては「あの、どちらまで行かれますか?」と聞いて回った。はじめは皆、不審に思っているようだったが、瞬間移動ができるのでお助けしたいと丁寧に説明すると、皆余計に不審がった。中には僕を頭のおかしい人だと思い、警察に連れて行こうとした人までいた。僕は改めて、僕のように瞬間移動ができる人材はまだまだ社会的マイノリティであり、ときに差別の対象にもなるのだと感じた。しかし、この逆境に屈してはならない。僕には使命がある。瞬間移動で世界を救うのだ。僕は心の奥底で燃えていた。

僕はその夜、瞬間移動で家で帰ると、妻に相談した。皆僕のことを怪しんで、助けを求めてくれない。僕はどうしたらいいんだろう?そもそも君は、僕が瞬間移動できることを、なぜ不思議に思わないの?いくら妻でも、そこは疑問に思わないの?妻は言った。

「旅行に行けるなら、別に何だっていいのよ」

何というやつだ。我が妻ながら、鬼畜。自分の利益を最大化するためなら、多少の謎には目をつむる。余計なことは考えない。ああ、恐ろしい。モンスターワイフだ。妻は続けた。

「社会の役に立ちたいというあなたの心意気は評価するわ。でも、やり方が間違ってる」

やり方が間違っている?どういうことだ?心意気は評価?なぜそんなにも上から目線なんだ?

「あなたが瞬間移動で人の役に立ちたいというのは、言ってしまうとあなたの欲望よね?大事なのは、そこに世の中のニーズがあるかどうか、でしょう?たとえば、私はあなたのおかげで旅行にたくさん行けて満足してる。そしてきっと、私と同じように旅行にたくさん行きたいと思っている人はたくさんいる。つまり、そこにはニーズがある。ということは、もしあなたがそのニーズを満たしてあげることができれば、それは人の役に立つ上に、ビジネスになる。瞬間移動を活用した、新時代の旅行代理店業みたいなものね。で、そのビジネスで得た利益をもとに、私たちはワンランク上のホテルに泊まれるようになる。私もあなたも幸せになる。どう、完璧じゃない?」

完璧、完璧だ。我が妻ながら、恐ろしい。世の中のニーズを満たすことによって、自分たちの利益も最大化する。ああ、恐ろしい。モンスターワイフだ。妻は続けた。

「で、ひとつ提案なんだけど」

提案?何だ?

「私が会社を作って、あなたが社員になる。どう?」

わからない。説明してくれ。

「あなたの持つ瞬間移動の能力は、今の社会では極めて特殊なものだわ。使い方を誤ると、社会に混乱を招いたり、悪質なテロの引き金にもなり得る。そのリスクはきっと、当の本人であるあなたにはわからない。なぜならあなたにとって、もはや瞬間移動は当たり前だから。それが当たり前ではない人たちが、どう感じるかがわからない。まさに今日、街で不審がられたようにね。だから私が普通の人代表として、瞬間移動という特殊な能力を持つあなたのマネージメントを担当する。私なら、あなたの能力をどう活用すればいいかわかる」

何だ、この自信は。しかし、言ってることはもっとものように聞こえる。俺の瞬間移動が、悪質なテロの引き金になり得る?わからない、俺にはわからない。確かに、俺は自分自身の能力の恐ろしさを理解していないのかもしれない。だとしたら妻の言うように、妻にマネージしてもらうのも良いのかもしれない。俺の瞬間移動を俺以上に、社会のために役立ててくれるかもしれない。

「会社名は、株式会社フューチャートラベル。間違っても、瞬間移動のことは表には出してはいけない。顧客とは毎回、瞬間移動のことを口外しないよう厳密なNDAを結ぶ。私の友達にやり手の弁護士がいるから、相談しましょ」

株式会社フューチャートラベル。悪くない。程よいチープさと、謎の近未来感。俺の能力が世に知れ渡ってしまうことのリスクヘッジまで、既に考えられている。何だ、この女は。天才か。天才なのか。俺はこの女の実力を、見誤っていたと言うのか。ただの旅行好きの主婦だと思っていた俺がバカだったのか。友達にやり手の弁護士がいるなんて、初耳だぞ。なぜ今、そんな破壊力のある情報を持ち出してくるんだ。ズルい、ズルいぞ。しかし、妻の戦略は完璧だ。MBAケーススタディに使われてもおかしくないレベルだ。モンスターワイフだ。

「ただ、この戦略にはひとつ、問題があるの」

問題?何だ?

「あなたの瞬間移動する能力は、今は社会の中で特殊なものだわ。でも、私たちが知らないだけで、もしかしたら既に一定数、瞬間移動をしている人たちがいるのかもしれない。そしてその人たちは、同じようにビジネスの戦略を練っているかもしれない。つまり、競合になる。そして、今後は瞬間移動がもっと一般化して、コモディティ化する可能性も考えられなくはない。そうなると、私たちのコアコンピタンスは失われて、マーケットでの優位性はなくなる。だからもうひとつ、飛び道具が必要なの」

なるほど。確かに俺だけが瞬間移動をできるなんて思うのは、自惚れかもしれない。そしてこれから、瞬間移動なんて当たり前の世の中が来るかもしれない。とすると、確かにもうひとつ、何か必要だ。何だ、何があればいいんだ?妻は続けた。

「実は私、あなたに言ってなかったけど、特殊な能力があるの」

は?特殊な能力?何だそれは。何なんだ。妻は続けた。

「実は私、過去や未来を自由に行き来できる、いわゆるタイムトラベラーなの」

何だ、何を言ってるんだこいつだ。頭がおかしくなったのか?

「実は今、私は10年後の未来からここに来たの。10年前のあなたに、大事なことを伝えるために」

意味がわからない。どういうことだ。

「まず、私がいた10年後の未来には、あなたはいない。つまり、死んでいる」

何だと。なぜだ。

「あなたは5年前、あ、今からだと5年後ね、裁判にかけられて、死刑になるの。瞬間移動できることがバレて、社会を混乱に陥れた罪でね。そう、まるで中世の魔女狩りのように、あなたは現代社会の異端として処刑されたの」

そうか、そうだったのか。

「でね、あなたは処刑の間際、悲しみに暮れ泣き喚く私に、ある能力を授けてくれたの」

ま、まさか。

「そう、それこそが、タイムトラベラーとしての能力よ。あなたは言ったわ。いつか5年前に戻って、俺に忠告して欲しい。瞬間移動の乱用は控えろ、さもなくば死ぬぞ、と。そうしたら俺は、瞬間移動は自重して、いつまでも君と一緒に暮らすだろう。今度こそ俺たちは、幸せになれるだろう。だから頼む、と。でも私は、すぐに過去に帰る気にはなれなかった。あなたのいない日々をぼんやりと過ごしていたら、さらに5年の月日が経ってしまった。そして今、ようやくここに戻ってきたの」

そうか、そうだったのか。しかし、だとしたら君はなぜ、会社を作ろうなどと言うんだ。そんなことしたら、社会にバレるリスクが高まってしまうではないか。俺に瞬間移動を控えさせに来たのではなかったのか。それが一転してフューチャートラベルとは、どういうことだ。

「考えてみて。あなたは今、瞬間移動ができる。私は今、タイムトラベルができる。つまり私たちは、時間にも場所にも一切縛られず、世界中のあらゆる場所の、過去も未来も自由に旅することができる。こんな素晴らしいことってある?私はね、考えたの。確かに瞬間移動を自重すれば、あなたは死なない。でも、せっかく手に入れたその能力を使わないまま、結局いつか死んでいくなんて損じゃない?だからね、私はあなたと思い切り、この世界を楽しもうと思ったの。いつ死んでもいいように、ね」

なるほど。確かにその通りだ。せっかく身につけた瞬間移動を、使わないという選択肢はない。瞬間移動のためなら死んでもいい。そう思える。いや、待て。そんなバカな話があるか。君の話は意味不明、支離滅裂だ。君が未来から来たなんて話、俺はどうやって信じればいいんだ。大体、この物語は一体どこに向かっているんだ。作者はわかっているのか。もう収集がつかなくなっているぞ。俺は一体、誰なんだ。ここはどこで、いつなんだ。助けてくれ。もう何も信じられない。終わらせたい。この物語を、どうにかして終わらせたい。どうしたらいい。考えろ。考えるんだ。きっと方法があるはずだ。妻が言った。

「さあ、そろそろ現実に帰るわよ」