自由とは何か

一昨日発売されたばかりの新書、平野啓一郎『自由のこれから』を読んだ。面白かった。主にはテクノロジーの急すぎる進化によって、人間の自由意志はどうなっていくのか、という話である。

昨日、アマゾンがホールフーズを買収したことが発表された。平野氏の本の中では、アマゾンの話が何度も出てくる。10年前、インターネット界の巨人はグーグルだったが、今はアマゾンだ、と。確かにそう思う。最近の10代や20代の子なんかは、グーグルなんて使わない子も多いらしい。僕もほとんど使わなくなった。正直、検索とかダルい。でも、アマゾンは使う。しかも、使用頻度は増えている。これは明らかに、時代の流れだと思う。

アマゾンの特徴は、何といってもレコメンド機能だろう。僕の購買履歴や閲覧履歴をもとに、オススメの商品を出す。気の利いたレコメンドのおかげで、欲しいものを探す手間が省ける。というか、欲望を創出する。これがアマゾンの真髄であって、家に届けてくれるのはオマケみたいなものだと思う。この前、二子玉川の蔦屋書店に行ったとき、気の向くままに1時間ほど色んな本を物色したが、何も買わなかった。翌日、今度はある本を買うためにやはり二子玉川の蔦屋書店に行き、5分でその本を買って店を出た。僕はその本を、蔦屋書店の店内で見つけたわけではない。前日、ガールフレンドにレコメンドされたものだ。蔦屋書店の店内をいくら歩いても、欲しい本はあまり見つからない。正確には、そこで出会った本をあまり欲しいと思わない。僕の欲望を掻き立てるのは、平積みされた本ではなく、あくまで僕向けにレコメンドされた本なのである。同じ本であっても、出会い方によって、買うときと買わないときがあるということだ。

これは一体、どういうことだろうか?本屋でたくさんの本の中から欲しい本を選ぶのは選択のコストがかかるけど、僕のことをよく知る人(もしくはロボット)に「あなたにはコレ!」とピンポイントで一冊レコメンドされたら、購買のハードルがグっと下がるということだろか?おそらく僕の深層心理では「自分で選んんだわけじゃない、レコメンドされたのだ」という意識が働いている。だから、仮に買った本がつまらなかったとしても、僕の責任ではない。これは僕の選択ではなく、ガールフレンドやロボットの選択なのだ、と。しかし、フラッと入った本屋で一冊の本を選び買うのは、紛れもなく自分の意思であり選択である、ような気がする。実際のところ、その本を目立つところに置いた書店員の思惑とか色々あるのだが、少なくとも僕個人に向けてマーケティングされたものではない。つまり、たとえ同じ商品であっても、誰でもない大衆に向けてマーケティングされた時点で僕は、買う気を失くすのだろう。逆にいうと、僕向けにピンポイントでオススメされた商品なら、興味がなかったものでも興味を持つのだろう。

アマゾンがホールフーズを買ったということは、今後、とりあえず食べ物という商材も、アマゾン化する可能性が高いと思われる。アマゾン化とはつまり、問答無用のレコメンド祭りである。ほうれん草を買った人はエリンギも買っています。昨日牛肉のステーキを食べたあなた、今日は鮭のムニエルでもいかがですか?こんな感じだろう。僕がいつ何を食べているかという情報がデータベースに保存され、それをもとにアマゾンが明日の献立をレコメンドする。こうして僕の食生活、つまりは僕の身体が、アマゾンの思うがままにコントロールされていく。ああ、恐ろしい。無論、今後は食べ物だけでなく、医療もアマゾン化するだろう。僕の食生活履歴をもとに、アマゾンは僕に人間ドッグ、さらには遺伝子検査をレコメンドする。こうして僕の健康状態から遺伝子情報までが、アマゾンのデータベースに蓄積されていく。ああ、恐ろしい。やがてアマゾンは、僕に職業や住居、結婚相手、宗教、思想、ありとあらゆるものをレコメンドするようになるだろう。もはや僕に、人間としての自由意志などない。アマゾンにレコメンドされるがままに作られた、人の形をしたロボットである。猫型ロボットならぬ、人型ロボットである。

自由とは一体、何だろうか。

僕が今この文章を書いているのは一体、どこまで僕の自由意志と言えるのだろうか?自分が書きたくて書いているのだかしかし、この世に存在する様々な環境要因が積み重なった結果、たまたま僕が書くことになって書いている、という気もする。たまたま生まれることになったので僕は生まれ、たまたま今もこうして生きている。そこに僕の意思などというものは、果たしてあるのだろうか?人間は環境の産物である。僕は環境の一部であり、周囲の環境と相互に影響を及ぼし合いながら存在している。

僕は自由に生きたい、と思う。しかし、自由とは何なのか、実のところよくわからない。選択肢が多いこと、が自由であるという気もする。しかし選択肢が多すぎると、それはそれで途方に暮れてしまう。蔦屋書店に山ほど本が置いてあるばかりに、何も買えなくなってしまうように。

自由とは一体、何だろうか。